「いいように考える」
「ものは考えよう」などとも言われます。どんなことでも考え方しだいでは受け取り方が違います。それによって、イヤな感じがするか、何も感じないか、幸せを感じるかが変わります。
自分がいいように考えられたら、と思います。
事が起きた時にいいように考える。例えば簡単な話、雨が降ったら、「イヤだ」と思うのと「雨は雨でいいか」と考えるのでは、その日の気分が違ってしまいます。朝の気分がその日の幸せに影響することはおおいに考えられます。また深刻な話では、入院、浪人、左遷、失業などの一時の挫折も、そこで落ち込んでしまえばその先は暗いものになってしまいます。「これも自分に与えられた試練だ」や「今は力を蓄える時だ」や「時間がなければできないこと、今だからできることをやってみよう」などと考えられれば、永い人生の中では、返って大きな財産になるかもしれません。
人のこともいいように考えた方がいいと思います。人が自分にイヤな感じをさせた場合に、「意地悪している」、「私を嫌っている」などと思うことがありますが、それはあくまでも推測です。また、人は何もしていないのに「人に嫌われるのではないか」「人に変だと思われたらイヤだ」などと、人の目を恐れるのも同様です。悪いように悪いように考えています。
多くの場合、人は自分のことなどほとんど関心を持っていません。だから、気になることをする人も、単に不注意だったり、鈍感な人の場合が多い。中には性格としてまたは習慣的に意地悪な人もいますが、そういう人に対しても「この人には何か事情があるに違いない」「過去の経験がこういう人にしてしまったのではないか」などと考えることができれば、自分の気分はずっと落ち着くと思います。少なくとも「世の中にはこういう人もいる」と存在を受け入れるだけでもいいと思います。これらを「人のためにいいように考える」のではなくて、「自分のためにいいように考える」ことにしよう。何が正しいか間違っているか、どちらが良いか悪いかよりも、自分の幸せためにはどう考えるのがいいか、と考えてみよう。
自分のことを悪く考えるのがいちばんよくないと思います。自分の失敗や欠点を責めてもつらいだけです。また、「どうせ自分は××だから」や「自分には○○はできっこない」などと、自分のことをあきらめるのもよくありません。自分は自分の考えた通りの人になるようです。「今は××だけどいつかは○○」や「ここは××だけと、他に○○のところがある」などと、いいように考えたほうがいいと思います。自分をなぐさめ、励ます自分でありたいと思います。
いいように考えよう
自分の幸せのために
Take it easy!
Take it happy!
Think it happy!