「自分でやってしまおう」〜不満を抱えてイライラしているよりも〜
「人が○○してくれない」とイライラした時に、○○が自分でできる場合もあるでしょう。
そんな時に、「自分でやってしまおう」と考えられれば、人にイライラし続けなくてすむでしょう。
「自分でやった場合」と「イライラし続ける」のと、自分(の心)にとってどっちがいい(より幸せに過ごせるか)か? を考えてみれば、「自分でやってしまったほうが、いい/早い/ラク/イライラしなくてすむ」などと考えられることがあると思います。
物理的なことなら、自分でできることも多いのではないでしょうか。
人に“やさしさ”や“思いやり”などの精神的なものを求めて、「○○してくれない」と不満に思っている場合にも、自分でできることがあると思います。
たとえば、「評価してくれない」と思うのなら、「よくやってるよ」って自分で言ってあげる。
「ほめてくれない」と思うのなら、「えらい、えらい」って自分で言ってあげる。
「わかってくれない」と思うのなら、「わかってるよ」って自分で言ってあげる。
それだけでも、少しはラクになれるでしょう。
他にも、「自分に○○してあげられる」ことがいろいろあると思います。
なぜ、自分でやる気になれないのでしょうか。
「相手がやらないのが悪いのに・・・」「何で自分(だけ)が・・・」のような思いがあるからかもしれません。
気もちはわかりますが、そんなふうに考えてもイライラするだけでしょう。
「自分でやってしまおう」と考えてしまったほうがラクなことって、けっこうあるような気がします。
「自分でやってしまおう」と考えるのは、イライラし続けないため、自分(の心)のため、少しでも幸せに暮らすためです。