「人を信じられない」
人を信じる度合い
「人を信じられない」という人がいます。中には、人間不信に陥って、人とうまくつきあえなくなってしまう人もいます。
そこまでいかなくても、相手を信じたほうがいいのかどうかを考えることはあるのではないでしょうか。
人間不信になるには、過去にそれなりの経験があったのかもしれません。
でもそれは、「そういうこともある」「そういう人もいる」ということなのではないでしょうか。
「一時が万事」のように考えてしまうのは、自分のためによくないでしょう。
「人を信じられない」ということは誰にでもあります。人を100%信じることはできないでしょうし、すべての人を信じることはできません。
信じることにあまりこだわらないほうがいいでしょう。「人を信じられない」と考えすぎないことです。
ふとそう思うことがあっても、「(100%は)信じられなくていい」と考え、少し力を抜いてラクにつきあうことができたら、と思います。
「人を信じられない」と、必要以上に人づきあいを避けてしまうのは自分のためによくないのではないでしょうか。
信じることのリスクは、裏切られた時の心のダメージと、何かをだまし取られた時の実質的なダメージがあるでしょう。
心のダメージはどのくらい信じたかに比例するのではないでしょうか。
「ある程度は信じよう」と考えてみてはどうでしょうか。
人を信じるのに100%信じなければならないということはないと思います。どのくらいまでなら信じてもいいという、度合いがあっていいと思うのです。
たとえば、人から「お金を貸してほしい」と言われた時に、この人だったらいくらまでなら貸してもいいと思えるかです。
人にお金を貸す時には、「返ってこないものと思って貸せ」や「あげるつもり貸せ」とよく言われます。(「手切れ金だと思って貸せ」なんていうのも、どこかで読んだ覚えがあります)
そう考えて貸せば、たとえ裏切られても、ダメージは少なくてすむでしょう。
そう思えないような高額の場合には、ことわったほうがいいのです。
自分がここまでならと納得して信じた結果、裏切られたとしても、それは相手が悪いのであって、自分はそれでいいと思うのです。
「ここまでだったらだまされてもいいから信じたい」ということがあってもいいのではないでしょうか。
また、人をどのくらい信じられるかは、相手によります。
もし、相手が自分にとって大切な人なら、「信じたいから、信じよう」「疑うよりも、ダマされたほうがいい」のような考え方もできるのではないでしょうか。