一つのことにとらわれないための幸せになる考え方
心が苦しくてどうしようもない時、すごく悩んで解決法(答え)が見つからない時には、何かにとらわれているのかもしれません。
お金(損得)、地位・名誉、成績・業績、夢・目標、愛する人、人づきあい、世間体、健康、・・・
人はいろんなものにとらわれることがあります。
これらはすべて、本来は幸せに結びつくものだと思います。
ところが、とらわれてしまうと、他のことが見えなくなって、不幸になってしまいます。
やるべきことがおろそかになったり、大切なものを忘れてしまったりします。
人のことが見えなくなって、平気で人を傷つけたり、人をダマしたり、人を裏切ったり、人を陥れたりしてしまう人もいます。
物事の善悪を見失って、犯罪行為をおかしたり、人間として恥ずかしいことをしたりしてしまう人もいます。
自分を見失って、自分の心や体を害することをしたり、自分の人生を台無しにするようなことをしてしまう人もいます。
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│ とらわれているものに気づく
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心がとらわれているのは、間違った「思い込み」かもしれません。
「こうしなくてはいけない」「こうあるべきだ」というような思い込み、あるいは常識や世間体のようなものに心がとらわれているために、出口が見つからなくなっている場合があります。
「(必ずしも)こうでなくてもいい」のように考えることができれば、ラクになれることも多いでしょう。
たとえば、「○○が得られないと、幸せになれない」と思い込んでしまうのは、一つの幸せにとらわれていると言えるでしょう。
「私は××だから、幸せになれない」と思い込んでしまうのは、一つの不幸にとらわれていると言えそうです。
「幸せはたくさんある」「悩みや問題があっても(それなりに)幸せに暮らすことはできる」というのが幸せになる考え方であり、一つの幸不幸に執着しないために役立つのではないかと思います。
心がとらわれているのは、「感情」かもしれません。
怒り、嫉妬、悔しさ、恐怖心、不安、寂しさなどの悪感情が強くなると、自分の考えや行動が流されたり振り回されたりしてしまいます。
そんな時には、問題の解決を考えるよりも、まずは感情を鎮めることに専念したほうがいいのです。
「こういうこともある」などと現実を受け入れる考え方を、自分に言い聞かせることで、少しでも心を落ちつけることができるといいでしょう。
心がとらわれているのは、「望み(欲)」かもしれません。
誰にでもいろんな望みや欲があり、その時々に何かを求めて行動しています。欲望があるから、人間は生き続けられる、また、幸せになれると考えることもできるでしょう。
ただし、欲にとらわれてしまうと不幸になってしまいます。
いちばん難しいのは、自分が何にとらわれているかに気づけることでしょう。
苦しい時、すごく悩んだ時に、「自分は今何かにとらわれているのではないか?」と自分に問いかけることで、とらわれている何かに気づけるといいでしょう。
さらに、「とらわれているのは、何かへの欲か? 強い悪感情か? 何か思い込みか? 常識か? 人の目か?」などと自問できると、なおよさそうです。
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│ とらわれないために
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自分が今とらわれているものがわかれば、それをあきらめるか、(悪いことや恐れていることを)覚悟すれば、ラクになれたり、悩みから抜け出すことができるでしょう。
すべてを、完全に、あきらめる必要はないでしょう。
一部を、ある程度、あきらめるだけで、いい場合が多いでしょう。
たとえば、「これはしかたがない。あきらめよう」「こんなものはなくてもいい」「このくらいは(失っても)大丈夫」「人にどう思われてもいい」「(この人とは/うまく)つきあわなくてもいい」「つらいのは一時の事」などと考えられるといいでしょう。
さらに、「他にもある」「まだ次がある」「きっといい経験になる」のように長い目・広い目で考えられると、なおいいでしょう。
「あきらめる」というよりも「とらわれない」と考えればいいのでしょう。
成績・結果にとらわれない、出世にとらわれない、お金にとらわれない、特定の人(づきあい)にとらわれない、人の目・世間体にとらわれない、理想にとらわれない・・・。
“とらわれない”とは、“望まない”“求めない”ことではなく、“望み過ぎない”“求め過ぎない”ということだと思います。
自分が望むもの(幸せ)を求めて努力するのはいいことです。
自分が求めるものが得られないことで不幸になった時には、「とらわれているのではないか?」「求め過ぎ(ているの)ではないか?」と自問することで、自分がとらわれているものに気づき、「□□にとらわれるのはよそう」と考え、とらわれから(一時的にでも)放れられたらいいのではないでしょうか。
一つのことにとらわれない自由な心で、生きていけるようになれたらいいのではないでしょうか。